「昔は携帯なんてなかった。夫からメッセージ入りのカセットテープが届くと、子供たちが声や歌を吹き込んで送り返したわ」
1980年代前半。テス・ビラヌエバさん(56)の心の支えは、夫ジョージさん(57)から届く声の定期便だった。夫は幼なじみで、6年越しの交際の末に結婚。2人の娘が生まれた後、夫はサウジアラビアの石油会社に出稼ぎに行った。帰国は年1回。「さみしくて、テープを聞きながら泣いた」
当時、長女シェリルさん(28)は小学生。テープに向かって「パパ、おうちに戻る時、チョコ買ってきて」とおねだりしていた姿が今も目に浮かぶ。
出稼ぎ3年目で、マニラ近郊に一軒家を建てた。子供は学費の高い私立学校に通わせた。
テスさんも、工場の診療所で看護師として働きながら、娘2人と息子1人を育てた。息子の出産時には夫はサウジ。「明け方、自宅から1人でタクシーに乗って病院に行った」という。仕事と幼子3人の育児の両立。「職場と家の往復以外に何もしなかった」
今、テスさんは冗談めかして笑う。「夫は通算20年以上、海外にいる。壊れた家族みたいじゃない?」
ジョージさんのように、政府機関の認定を受け、期間限定の契約で海外で働く比人は約400万人。移住者なども含めれば約800万人になる。
サントトマス労働雇用長官は「技術力が高い比人労働者の需要が海外で大きいため」と言うが、家族と離れても海外へ行くのは、高い給与目当てだ。海外出稼ぎ比人労働者の本国送金額は2004年で、85億5000万ドルで、国内総生産の約1割を占める。
ジョージさんは03年にサウジの会社を退職し、いったん帰国した。その翌年には、歯科医になったシェリルさんのために、自宅わきに歯科診療所をつくった。総額30万ペソ(約66万円)のプレゼントだった。05年2月、「もっと仕事がしたい」と言い残し、パキスタンへと出稼ぎに行った。
娘のシェリルさんは今、隔週金曜の午後10時半が待ち遠しい。サウジで働く彼(28)と午前2時まで、パソコンでチャット(会話)できる瞬間だ。金曜はサウジの休日なのだ。
「忍耐強くて、思いやりのある人なの」
もう2年間会っていないが、パソコンに設置したカメラで、食い入るように彼を見つめる。
「出会ったのは4年前。お姉さんがサウジで働き始めたから、その時にはもう行く計画があったみたい」
さみしいけれど、それが現実と受け止める。
もちろん、「酒もギャンブルも禁止されたサウジで、現地の恋人が救い」というケースは、よく聞く。
テスさんは、「夫は私を信頼しているし、私もごまかすことはない。誠実なのが一番よ」と言う。心の空白を埋めたい時、子供と話し、そしてテレビを見た。
2日に1度。通信状態が悪いパキスタンから、電話がかかってくる。
「数分の電話だけど、受話器を置く前に、『愛してる』って言い合うわ」
「どう?」といわんばかりの笑顔がはじけた。1月25日はジョージさんの誕生日。一時帰国する夫にもうすぐ会える。(マニラ 遠藤富美子、写真も)
フィリピンの結婚事情 フィリピンの合計特殊出生率は3.23(2005年)と日本の倍以上。初婚の平均年齢は22歳で、第1子出産時の平均年齢は23.2歳。理想の子供の数は3人という。人口約8100万人の8割以上をカトリック教徒が占め、離婚や中絶は認められていない。
(2006年1月15日 読売新聞)
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