パルティア

- ローマと戦った騎馬民族国家 -

誰でも知ってるローマ。共和国から帝国へなってもやっぱりローマ。

そんなローマは多くの国・民族と戦いました。しかし、ヨーロッパを

制覇するまでは基本的に歩兵主体の敵だったのですが、、、、

ボスポラス海峡(ダーダネルス海峡でもいいよ)を越えてアジアに

入ると相手は歩兵のみならず騎兵も増えていきました。

そんなローマと戦った騎馬民族国家にパルティアがあります。

パルティアは元々イラン高原北部の地域の呼び名だったらしいです。

そこはセレウコス朝シリアの支配地域だったのですが、その地域の

遊牧民の王、アルシャク(アルサケス・安息)が独立して建てた国です。

それが紀元前3世紀半ばらしい。その後、同じくシリアより独立した

隣国バクトリアと組んでセレウコス朝を圧迫してったらしいですね。

当時の勢力図としては・・・

こんな感じかな?

その後、セレウコス朝のアンティオコス3世の侵攻により、一時は支配されるようですが、すぐに盛り返して

いきます。昔は組んでセレウコス朝と戦ったバクトリアを攻めて領土を拡大する一方、セレウコス朝含めた

周辺国を破って、西アジア最大の版図を築いたとの事。あ、この時点でバクトリアはトハラ人の国大夏

によって滅ぼされてます。セレウコス朝はまだ生き残ってますよー。この時の王、ミトラデタス1世は大王

を名乗ったとか・・・

当時の勢力図としては・・・

まあ、こんな感じかな?

北西にローマが勢力を伸ばしてるんですよ。シリアって結構キツイ位置にいますよね。

紀元前92年頃に初めてローマと接触したらしい。まだ戦ってはいません。国境接してないからね。

あと、この時期にパルティアの北方(カスピ海北部)にアラン人というのが出現し、たびたびパルティアに

侵入してきて、これが結構痛かったようですね。

そして、紀元前63年にセレウコス朝シリアが遂に滅びます。滅ぼしたのはローマのポンペイウス。

カエサル(シーザー)クラッススと共に3頭政治の1頭と呼ばれた人物です。

でもポンペイウスではなく、パルティアと戦ったのはクラッススでした。紀元前53年にクラッスス率いる

ローマと戦い、ハランにてクラッススを敗死させたとの事。ここからパルティア戦争と呼ばれる戦いが

延々7回、250年にわたりローマと激闘を繰り広げる事になるのです。

当時の勢力図・・・っと

250年って長いですね。

英仏100年戦争の比じゃないですよ。この戦いの間にローマは五賢帝時代ネロの時代

経ています。この時もパルティアを痛めたのは北のアラン人でした。ローマには何度も首都である

クテシフォンを落とされるのですが、何故か国は滅びないんですねえ。でも遂に滅びる時が

来るのです。カラカラ浴場で有名なローマのカラカラ帝がパルティア遠征で敗死した後にパルティアは

激しい内紛に見舞われます。そんな中、アルデシールという1貴族の前に敗れ、パルティアは220年

滅びます。約6世紀に渡って君臨してたんですね。このアルデシールは後のササン朝ペルシャの始祖

アルデシール1世です。

------------ パルティアの余談 -----------------

パルティア軍の主力は騎兵です。それも軽騎兵。まあ、騎馬民族国家ですから当然ですね。

当時のパルティア軍は接近戦を避けてたそうです。ですから騎兵の武器は弓です。機動力を活かして

動きながら振り向きざまに弓を撃っていたらしいですね。これを「パルティアンショット」と呼ぶそうです。

これ実はロード・オブ・ザ・リング(Load Of the Rings)の2作目、二つの塔に出てきたんですよ。

メリーとピピンがウルク・ハイの集団にさらわれてアイゼンガルドに連れてかれる時にエオメルの騎馬隊が

ウルク・ハイを襲うというシーンです(わかるかな〜)この夜の戦闘の中で、騎士の一人が振り向きざまに

弓を撃ってました。たぶんこれがパルティアンショットだと思いますよ。



パルティア関連の諸々・・・

 パルティアの歴史

パルティアの歴史だけでなく、

文学等にも触れた1冊です。

 パルティア見聞録

シルクロードに関連してパルティアを

見たようですね。

 世界の車窓から 世界一周鉄道の旅 第4巻 ユーラシア大陸(4)

イスタンブール(コンスタンティノープル)

からインドまでの西アジアを列車の窓から

見たビデオですね。

 大旅行記 (2)

イスラムの旅行家イブン・バットゥータのイスラム世界旅行記

ダウンロードサービスです。

もう本もDLの時代なんですね。

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