スティールキャスト

父 マグニテュード  母 プリテイキャスト  母父 カバーラップ二世

☆栗東・森秀行厩舎   38戦 3勝 2着 5回  

☆1991年4月11日生 

☆黒鹿毛  

主な勝鞍:会津特別(500万下) 日本海S(900万下)

 
世の中が三冠馬に沸いたせいで多くの馬が忘れ去られてしまったんですよね。

エアダブリンにせよヤシマソブリンにせよフジノマッケンオーにせよ・・・

まあ、そんな馬達とはレベルが違いますがこの馬もまたブライアンの三冠達成時に

見せ場があった馬です。三冠確実と言われたブライアン・・・対抗できる術は他馬

には無いと思われたあの時・・・彼は父母の血のみを頼りにダービー馬に挑んだ。

父はかつて無敗のダービー馬ミホノブルボンを輩出したマグニテュード。そして

母は昭和55年の天皇賞(秋)、当時は秋も3200mのレースでした。彼女は府中の

重馬場を逃げて逃げて・・・大逃げして・・・2着のメジロファントムになんと7馬身を

つけてゴール、名牝として名を残しました。さらにその母タイプキャストはアメリカの

競馬史上に残る名牝でした。その子であるスティールキャスト・・・彼の力が当時の

ダービー馬には遠く及ばない事は明らかでした。(及んでいたらもっと人気あったろうし)

でも彼はその血のみを頼りにスタート直後から飛ばします。逃げて逃げて・・・・・・・

大逃げを打ったのです。一時は10馬身離した為、スタンドからは大きなどよめきが・・

しかし彼の見せ場は4コーナーまででした。レースはナリタブライアンが7馬身差で

圧勝。皮肉にも母が天皇賞を勝ったときと同じ着差でした(2着との差です)

その後彼は2勝を上げますがオープンクラスへは上がれずにひっそりと姿を消します。

しかし競馬史から彼の名は消える事はないでしょう。何故ならブライアンの菊花賞の

レースを放映すると必ず4コーナーまでは彼が先頭だったからです。

 

あ、そうそう、彼の祖母であるタイプキャストにはもう一頭の代表産駒がいました。

その名はラッキーキャスト。香港国際カップ(GU)を制したフジヤマケンザン号の

父でした。