突厥

 

 
 
 
 

突厥とは

6世紀〜8世紀半ばに中央アジアに興った遊牧騎馬民族の

国家です。テュルク系民族だったようです。突厥という言葉

自体がテュルクの漢字表記のようです。

アルタイ山脈の麓に住んでいたと言われています。

当初はモンゴル高原に勢力を伸ばした柔然に従属していて、

鉱業に従事していたようです。

6世紀中頃から徐々に勢力を強め、552年、伊利可汗の

時代に柔然から独立をしました。その後6世紀後半までに

モンゴル高原の柔然を滅ぼし、次いで、ササン朝ペルシャと

結んで隣接するエフタルを滅ぼし、大勢力を築き上げました。

その領土は中国北方〜カスピ海までという広大なものだったと

言われています。

その後、隋の離間策によって東西に分裂しました。

当時の勢力図(大雑把)

こんな感じかな?

 

東突厥

東突厥は一時隋の支配下に入り、安義公主を降嫁

されましたが、その後、隋の混乱に乗じて独立し、度々

隋に侵入したようです。隋が滅び、唐の時代になっても

その勢いは衰えず、627年には国境を突破し、首都で

あった長安付近の渭水まで侵攻したようです。

この時は唐との間で和睦がされたらしいですが、内容は

分かっていません。唐の文献では協定違反を咎めたら

帰ったと書かれていたようですが、そんなはずはないでしょう。

しかしその2年後、支配していた鉄勒が自立し、唐と結んで

突厥を攻撃します。この攻撃で東突厥は滅びます。

その後何度か叛旗を翻して682年に再び突厥を興しますが

またもや内紛が起き、そこを同じテュルク系のウイグルを

中心とした連合に攻められて完全に滅びました。

西突厥

統葉護可汗 、肆葉護可汗、沙鉢羅可汗等の可汗が

中央アジアで勢力を張り、ササン朝ペルシャへ攻入る等

活動を見せますが、657年に唐の攻撃を受け、可汗

沙鉢羅可汗が捕らえられて服属します。

その後同じテュルク系のトゥルギシュによって完全に

滅ぼされます。

 
 
 

マナス 少年篇 

キルギス英雄叙事詩

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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