スペインとはイベリア半島に位置するカトリック中心の国です。
カスティーリャ、カタルーニャ、アンダルシア、バスク、ガリシア等
の地方に分かれます。バスクはちょっと特別ですが・・・
国土面積は50.6万kuと、日本の約1.3倍程度で、人口は
約4000万人です。
元々は古代にフェニキア人・ギリシャ人が都市を築いた頃から
始まります。やがてカルタゴが来て。。ポエニ戦争でカルタゴ
が敗れた後はローマが支配します。そのローマもやがて東西に
分裂。西ローマはオドアケルによって滅ぼされる。
その後イベリアを支配したのは北アフリカからやってきた
イスラム勢力でした。西ゴート王国を滅ぼしてイベリアを支配
しました。
イベリア解放の動きが出たのは8世紀頃。718年にアストゥリアス王国が
建国。858年にはカスティリア伯爵領が成立。またサラゴサを占領した
アラゴンが勢力を伸ばします。 13世紀後半にはイベリアにあった
イスラム小王国群はナスル朝を除き 駆逐されます。そして1479年、
レコンキスタの主役であった2国。 カスティリア女王イサベル1世と
アラゴン王フェルナンドが結婚し、 イスパニア王国が成立します
(この件についてはこのページ内で後述します) その10年程後の
1492年にナスル朝の都グラナダが陥落し、 イスラム勢力は全て
イベリアから駆逐されたのでした。 統一国家っぽい書き方ですが
これは後で改めて書きます。
別項にて書きます。
レパントの海戦でオスマン帝国を破り、また隣国ポルトガルを併合する等、
破竹の勢いだったスペインもアルマダ敗戦やリスボン蜂起による
ポルトガル自立等によって次第に勢いを失い、17世紀後半の三十年戦争
終了時には小国の地位まで没落しました。やがてナポレオン時代を経て
19世紀になると今度は海外の植民地が相次いで独立し、海外における
勢力も次々と失っていきます。
そして、1936年に反乱を起こしたフランコ将軍が全土を掌握、
40年近く続く独裁政権となる。この時期「奴らを通すな」が抵抗の
スローガンとなって世界中から義勇兵が集まったらしいです。
まあ、そんなフランコ将軍も晩年は重度の痴呆だったとか・・・
現在は王室は復帰し、立憲君主制です。
↑スペインの地図です。
スペインの領土は上記の5つを含めた幾つかの地方に分かれます。
その歴史から多民族が住む地域ということで、その地域毎に言葉や
風習も違ってきます。イスパニア王国という呼び名は厳密には違う
そうです。黄金期のフェリペ2世の肩書きは・・・
「カスティリヤ王兼レオン王兼ポルトガル王兼バレンシア王兼・・・・」
といった感じだったそうです。
ということは、一般に言われるイスパニア王国というのはこれらの国々の
連合体であって単一国家ではないということですね。アラゴンとカスティリヤ
の合併というのも国家の合併というより王家の合併といった感じだったのでは
ないでしょうか。だから各国の国王を兼任してる形なんでしょうね。