そうして1488年に登場するのがバルトロメウ・ディアス提督です。
彼は喜望峰を発見したことで知られますが、影には色々あったらしいです。
まず彼は南下中に嵐に遭遇し、数日間漂流したそうです。その間、陸地も見えず、
四面海と言う当時では異常事態だったようです。この当時、迷ったら東へ向かえが
船乗り達の常識でした。何故ならアフリカ南端を越えていない時代ですので東へ
行けばアフリカ西岸のどこかへ着くということでした。
しかし、東へ向かっても一向に陸地が見えてきません。焦る船員達の中、彼が思った
のが、「ひょっとして南端ってのがあって、それを超えたから?」でした。
そこで大きな賭けに出たといいます。それは進路を北に取るということでした。
もし南端を越えていなければ待ってるのは死でしたから船員達の反対は凄まじかった
らしいです。しかし、結果としてこの選択は正しかったのです。逆にあのまま東へ
向かっていたほうが危なかったでしょう。こうして発見した岬を当初は「嵐の岬」と
名づけたそうですが、後に「喜望峰」と改名されたそうです。あ、ちなみに南端を
越えた後、インドへ向かおうとしたらしいですが、船員の反対にあって泣く泣く帰国
したそうです。喜望峰はそのときに発見されたものです。若干時期がズレます。
バルトロメウ・ディアスは、父ディニス・祖父ジョアン共にエンリケ航海王子に仕えた
航海者だったようです。
彼はその後、ヴァスコ・ダ・ガマのインド遠征の際にヴェルデまで同行し、また
カブラルのブラジル遠征にも同行し、ブラジル発見に立ち会う事になるが、残念ながら
帰国途中に事故で死亡したそうです。結局彼はインドへは行けなかったんですね。
しかし、彼がアフリカ南端を回ったことがそれまでの常識を大きく変えたことは確かで、
個人的にその功績はヴァスコ・ダ・ガマよりも大きいと思っています。この発見と
ノウハウの蓄積が西欧とインドを直接結び、中間のアラブ商人・ヴェネチア商人の
没落を早めたのではないでしょうか。